アマジヤは主の良しと見られることを行ったが、全き心をもってではなかった。
アマツヤ王は正しいことを行いましたが、いつも本心からとは限りませんでした。
彼は主の目にかなう正しいことを行ったが、心からそうしたのではなかった。
ただし高き所は除かなかったので、民はなおその高き所で犠牲をささげ、香をたいた。
ヨアシは祭司エホヤダの世にある日の間は常に主の良しと見られることを行った。
アマジヤはエドムびとを殺して帰った時、セイルびとの神々を携えてきて、これを安置して自分の神とし、これを礼拝し、これにささげ物をなした。
彼は、国が彼の手のうちに強くなったとき、父ヨアシ王を殺害した家来たちを殺した。
ウジヤは父アマジヤがしたように、すべて主の良しと見られることを行った。
彼らの心は神にむかって堅実でなく、 神の契約に真実でなかった。
主は言われた、 「この民は口をもってわたしに近づき、 くちびるをもってわたしを敬うけれども、 その心はわたしから遠く離れ、 彼らのわたしをかしこみ恐れるのは、 そらで覚えた人の戒めによるのである。
彼らの心は偽りである。 今、彼らはその罪を負わなければならない。 主はその祭壇をこわし、 その柱の像を砕かれる。
おまえの心が、神の前に正しくないから、おまえは、とうてい、この事にあずかることができない。
そんな人間は、二心の者であって、そのすべての行動に安定がない。
神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。
しかし主はサムエルに言われた、「顔かたちや身のたけを見てはならない。わたしはすでにその人を捨てた。わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」。